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世界遺産

高敞支石墓遺跡(世界遺産)

韓国は世界有数の支石墓遺跡群地として有名です。2000年ユネスコ世界文化遺産に登録された高敞、和順、江華支石墓遺跡があり、その中でも高敞支石墓遺跡が韓国最大規模を誇っています。 こんにちは、全羅南道(チョルラナムド)光州(クァンジュ)市から北 西へ50分程のところにある全羅北道(チョルラプクド)高敞(コチャン)郡に韓国最大の高敞支石墓遺跡があります。...

江華支石墓遺跡(世界遺産)

史跡第137号、高さ2.6メートル、長さ7.1メートル、幅5.5メートル、重さ80トンの富近里(プグンリ)にある江華支石墓 仁川市記念物第44号、片方の石柱のみ残っている富近里支石墓 江華歴史博物館 電話番号:032-934-7887観覧時間:9:00~18:00(チケット販売は17:30まで)休日:毎週月曜、1月1日、旧正月・秋夕当日料金:大人3,000ウォン、小中高生2,000ウォン スポット名江華支石墓遺跡・ 江華歴史博物館 강화고인돌유적・강화역사박물관 住所仁川広域市 江華郡 河岾面 江華大路 994-12 인천광역시 강화군 하점면 강화대로 994-12...

和順支石墓遺跡(世界遺産)

スポット名和順支石墓遺跡화순고인돌유적住所 全羅南道 和順郡 コインドル1路 전라남도 화순군 고인돌1로 電話番号 061-379-3933 時代青銅器時代、紀元前1000年~紀元前100年 指定2000年11月29日、 江華、高敞支石墓群とともにユネスコ世界文化遺産に登録 観覧料無料、展示施設なし

清州古印刷博物館

清州古印刷博物館

世界で最も古い金属活字本で、ユネスコ世界記録遺産に登載された「白雲和尙抄錄佛祖直指心體要節]」を印刷していた高麗時代の興徳寺址の上に建立された古印刷専門博物館です。省略して呼ばれる「直指心經」または「直指」は、高麗末・1377年に仏教の最高の徳目といわれる「禅」の内容を集めて印刷したこの活字本は、世界初の金属活字と知られたドイツの「グーテンベルク聖書」より70年進んだものですが、本物の「直指」は、現在フランス国立博物館に保管されています。...

大陵苑・天馬塚

大陵苑・天馬塚

最も大きい規模を誇る新羅時代の代表的な古墳公園である大陵苑・天馬塚 慶州市市内の皇南洞に位置する大陵苑は、木槨の上を大人の頭ほどの丸々の川の石を高く積み上げ、その石が崩れ落ちないように土で固めた4世紀~6世紀の新羅時代の典型的な積石木槨墳が集まっている慶州の代表的な古墳公園です。...

皇龍寺址

皇龍寺址

皇龍寺は、新羅真興王14年(553)に創建されて高麗高宗25年(1238年)の蒙古軍の侵攻によって焼失されるまで700年も続いた新羅最大の護国寺院です。特に、真興王35年(574)に鋳成された金銅三尊丈六尊像と善徳女王14年(645/新羅27代)に建立された九層木塔は、真平王の天賜玉帯と共に新羅三寶として知られています。 「三国史記」と「三国遺史」による皇龍寺の創建は、553年(真興王14年/新羅24代)に慶州月城(新羅の宮殿)から少し離れた東に新しい宮殿を建てようとしていたところに黄色い龍(皇龍)が現われたために宮殿造営をやめて皇龍寺という寺院を造り始めました。...

宋山里古墳群(武寧王陵)

宋山里古墳群(武寧王陵)

538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの64年間、百済首都だった熊津(ウンジン・現在忠清南道の公州(コンジュ)市)に造られた百済時代の王や王陵が眠る宋山里(ソンサンニ)古墳群 朝鮮三国の一カ国だった百済が475年、ソウルの漢城から熊津(ウンジン)(現在忠清南道・公州(コンジュ)市)に南下し、さらに538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの王都として知られている公州(コンジュ)には、64年間、百済首都だった熊津(ウンジン)時代に造成されたと伝わる百済王陵・宋山里(ソンサンニ)古墳群があります。...

扶余官北里百済遺蹟

扶余官北里遺蹟

プヨ市内の北側にある扶蘇山城(106メートル)からプヨ市内へ降りたところに百済サビ時代(泗沘、今の扶余、538~660)の王宮跡だと推定される扶餘官北里遺蹟があります。多年間にわたる発掘の結果、7間×4間に東西の長さ35メートル、南北の長さ18メートルに達する大規模の建物跡、首府名の瓦、南北・東西方向の道路、排水路、池、地下倉庫、石垣施設などの遺構が確認され、百済の王宮を把握するのに貴重な研究資料になるといわれています。 2015年、百済歴史遺跡地区の一か所としてユネスコ世界遺産になりました。 基本情報 スポット名 扶余官北里遺蹟 住所 忠淸南道 扶余郡 扶余邑 官北里...

扶余羅城

扶余羅城

こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたところにある靑山城(チョンサンソン)と繋ぐ北側と、そこから百済王と王族の王陵がある陵山里古墳群(百済王陵園)を通り過ぎ、錦江の白馬江まで続く東側を保護するための6.3キロくらいの城壁です。...