• メニュー
  • メニュー

新羅

慶州栗洞磨崖如來三尊立像

こんにちは、慶州市外バスターミナルから兄山江を渡っていくと西岳洞の新羅第29代目の太宗武烈王陵があり、そこから約2.3キロほど行った左の山麓には斗垈里村(栗洞)があります。 この村の裏山を少し上がっていくと8世紀に刻まれた統一新羅時代の磨崖三尊仏が立っています。 高さ3.32メートルの岩盤に刻まれている身長2.51メートルの中央の本尊仏は、西の方へ向いていることから西方極楽浄土を治める阿弥陀如来と考えれており、堂々した顔にがっちりした体格、広い両肩を覆う通肩は薄く刻まれて身体の屈曲がそのまま現れています。...

財買井

慶州市 校洞の西側に広いのどかな畑があり、新羅の名将・金庾信(キム・ユシン)将軍の邸宅と推定される家の遺構が史跡として保護されています。そこに金庾信(キム・ユシン)将軍が戦場に向かう際に飲んだ財買井という新羅の井戸が残っています。

三国遺事によると財買井は、金庾信将軍の夫人である「財買夫人」という名前から由来していると伝わっています。

スポット名 財買井 재매정住所 慶尚北道 慶州市 校洞89-7경상남도 경주시 교동 89-7 時代三国時代指定史跡第246号

慶州西岳里磨崖石仏

慶州市の西側に太宗武烈王陵(新羅29代王)と西岳里古墳群が位置した三角形の山が仙桃山(ソンドサン)です。新羅人の人々は、仙桃山の頂上付近を西方浄土と考え、ここに阿弥陀三尊仏を刻みました。 彫刻しにくい安山岩に高さ6.85メートルの如来立像を陽刻し、左側には宝冠をかぶって浄瓶を持っている観世音菩薩(高さ4.55メートル)があり、右側には大勢至菩薩像(高さ4.62メートル)が優しく微笑んで立っています。彫刻の手法からみて統一新羅の7世紀頃の作品と推定していますが、二体の脇侍菩薩像は他の場所から持ってきた花崗岩で刻まれました。...

慶州藥水溪谷磨崖立仏像

慶州金鰲山(468m)頂上から西裾に広がる藥水溪谷に慶州南山で最も巨大な磨崖仏像があります。   高さ8.6メートルにもなる藥水溪谷磨崖立仏像の頭上はなくなりましたが、巨大な四角形の岸壁の両側端の岩肌を30センチ以上厚肉彫りに刻まれ、重々しい仏躰を現しています。また、手と衣の裾も10センチ程度の中肉彫りに刻み出しており、左手は曲げて胸に付け、右手は腰まで下ろして両手の親指と中指、薬指を軽く合わせています。 ...

ヌムビボン五重石塔

ヌムビボン五重石塔 は、慶州南山のヌムビ峰の頂上の花崗岩を切り出して石塔の下層基壇にし、その上を細かく加工された石材を積み上げた統一新羅時代の石塔です。 この石塔の基壇は、ヌムビ峰の三角山の上に聳えている自然の岩を削って作られていますが、不足した基壇の石はあまり加工してない石材を使って自然半分、人工半分の基壇で完成されました。 おおざっぱに砕かれた基壇の石材は人工的な塔身と似合い、凸凹な基壇の自然の石は自然の岩山とよく調和をなし、石塔がまるで天に向かって聳え立ているように見えます。 慶州の新羅人たちは、山の頂上に石塔を建立して天に届くようにしました。...

慶州拜里石仏立像

あどけない子供の顔をしているベリ石仏は、7世紀初半の新羅仏像彫刻の代表作として評価されています。 横から眺めた慶州拜里石仏立像 慶州南山の裾に散らばっていた3体の石仏を1923年、現在の場所に一列に並ばせました。3体とも彫刻技法が非常に類似しているので制作された時代から三尊仏として信仰されたものと考えています。...

丹陽新羅赤城碑

大邱と江原道を結ぶ中央高速道の丹陽サービスエリアの裏山に位置する丹陽赤城碑は、新羅の真興王(24代、534年 – 576年)時代に異斯夫(イサブ)をはじめとする新羅の将軍たちが王命を受けて高句麗地域であった赤城を攻撃し占領しました。真興王は新羅軍を助けて功を立てた赤城出身のヤイチャや家族などの周囲の人物を賞して赤城地域の住民たちを慰めるために丹陽赤城碑を建てました。 高さ93センチ、国宝第198号、545-550年に作られたと推定する丹陽赤城碑は真興王が6世紀中期に高句麗から南漢江の上流地域を確保して刻まれた記念碑です。...

迎日冷水里古墳/迎日冷水里新羅碑

新羅時代から重要な交通路であった慶州市 安康方面から東海岸に向かう通り道に位置する冷水里(ネンスリ)古墳は、6世紀前半につくられたと推定する新羅時代の古墳です。古墳群が分布している神光面(シングァンミョン)一帯は慶州勢力の東海岸への進出の拠点とした勢力と関連のある多数の遺跡が残っています。 冷水里古墳はソウル漢江の南で発掘調査された橫穴式石室墳としては最大級の規模であり、封墳は高さ約7メートル、直径25メートルで主室と副室があるユニークな内部構造をもつ古墳です。管装飾・金の指輪など多くの遺物が出土され、この地域の支配層の古墳と推定しています。...