旅コリア・TABIKOREA

宋山里古墳群(武寧王陵)

538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの64年間、百済首都だった熊津(ウンジン・現在忠清南道の公州(コンジュ)市)に造られた百済時代の王や王陵が眠る宋山里(ソンサンニ)古墳群...

公山城

538年(聖王16年)に百済の首都を扶余(プヨ)に移すまでの5代、64年の間、百済の都だった熊津(ウンジン・現在忠清南道の公州(コンジュ)市)を保護するために築城された公山城(コンサンソン)は、海抜110メートルの公山の頂上から西の峰まで取り囲むように造られた包谷式の山城です。...

益山弥勒寺址

韓国最古であり、百済最大の益山弥勒寺址!百済歴史遺跡地区の一か所として2015年ユネスコ世界遺産になりました。...

扶余定林寺址

忠淸南道 扶余郡の中心部に位置する定林寺址は、百済が扶余に都を移した泗沘百済時代(538年から660年まで)に建立された百済時代のお寺です。 定林寺址(チョンニムサジ)は、益山(イクサン)の彌勒寺址石塔とともに百済時代の代表的な石塔といわれる高さ8.33メートルの定林寺址5重の石塔と高麗時代の石仏坐像を保護するため、1993年に建てられた切妻屋根の木造建物と蓮の池があります。...

扶余陵山里古墳群 / 百済王陵苑

扶餘陵山里古墳群は、扶余市内から東へ約3キロくらい離れた百済泗沘(サビ)都城を敵から防御するために築造された羅城の外側にある百済王族の古墳群です。 入場料を支払って陵山里古墳群の正門に入り、右側へ行くと昔ながら泗沘(サビ)時代(538年~660年)の百済王族が眠っている陵山里古墳群が目に迫ります。 扶余陵山里古墳群 / 百済王陵苑...

王宮里遺跡地・王宮里遺跡展示館

益山彌勒寺 (ミルクサ) 址から約6キロくらい離れている王宮里遺跡地は、百済王室と直接関わりのある百済末期の武王時代に造成された重要な王宮址として知られています。...

扶蘇山城

プヨ市内の北側にあり、遊覧船が通う白馬江(白村江)の川辺にある小高い山・扶蘇山(106メートル)に造られた百済時代の山城です。扶蘇山城は、538年、百済の26代の聖王が熊津(ウンジン、今の公州)から泗沘(サビ、今の扶余)に都を移した後、660年、百済が滅亡するまで123年間、百済の都だったところで、当時はサビ城と言われました。城内はゆっくり散策ができるように綺麗に整備されおり、落花岩(百花亭)、三忠祠、半月楼、軍倉...

扶余羅城

こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたところにある靑山城(チョンサンソン)と繋ぐ北側と、そこから百済王と王族の王陵がある陵山里古墳群(百済王陵園)を通り過ぎ、錦江の白馬江まで続く東側を保護するための6...

カテゴリ -百済歴史遺跡地区

忠清南道 公州市と扶余郡、全羅北道 益山市に分布する三国時代の百済と関連した歴史遺跡で、2015年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

忠清南道 公州市と扶余郡、全羅北道 益山市に分布する百済に関連する8ヵ所の歴史遺跡を言います。公州(熊津時代)・扶余(泗沘時代)・益山は三国時代,百済の王都または王城があった遺跡地として、この3か所の考古学遺跡と建築物は韓国と中国および日本の古代王国の相互交流を通じて築かれた百済の建築の発展と仏教拡散に大きな役割を果たしたことが確認されました。

また、王都の立地選定、仏教の寺院と古墳、石塔の配置などを通じて百済の固有の優れた文化や宗教、芸術美などが認定されて2015年、韓国の12回目の世界文化遺産に登録されました。

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