説明
倭城のうち、最西端に位置する順天倭城から文禄・慶長の役の際に激しい攻防戦が繰り広げられた晋州城を回るツアー
全羅南道・順天市(シュンチョンシ)から慶尚南道・蔚山市(ウルサンシ)まで続く海岸ベルトには、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築き上げられた16世紀の倭城が多く残ってあり、かつての歴史を今に伝えています。
南海岸の各地に残っている日本式の城のうち、最西部に位置する全羅南道・順天市の順天倭城は、慶長の役(豊臣秀吉による二度目の朝鮮出兵)に小西行長らが率いる14,000兵と明・朝鮮連合軍が2度にわたって、最後・最大の戦いが繰り広げられた倭城です。
泗川の戦いで有名な釜山市と順天市のほぼ真ん中に位置する泗川倭城と付近の泗川朝明軍塚をまわり、壬辰倭乱(文禄の役)の最高の激戦地としても有名は晋州城をまわります。
所要時間 約10時間30分所要
ツアー日程 |
釜山市内ホテル出発 (午前8時)→順天倭城(スンチョンウェソン)→食事→泗川倭城(サチョンウェソン)→晋州城(チンジュソン)→熊川安骨倭城 →釜山へ
順天倭城
1598年(宣祖31年)、順天倭城に駐留した小西行長の日本軍と朝鮮と中国の明連合軍の激しい攻防戦が繰り広げられた倭城!
泗川倭城
文禄の役の時(一度目の朝鮮出兵、1592年)、李舜臣将軍が泗川湾に初めて亀甲船を出船させ、日本水軍との「泗川沖海戦」が繰り広げられた泗川市にある倭城。
晋州城
文禄の役文禄の役(一度目の朝鮮出兵、1592年)の際、最も激しい攻防戰が繰り広げられたお城。
熊川安骨倭城
文禄の役の際、小西行長が長期間にわたって駐屯した熊川倭城から東南へ直線距離で約5キロほど離れている安骨倭城 は、城壁の長さ594メートル、高さ4〜7メートル、城内の面積は約16,529m²(5000坪)程度のお城であり、外郭部には土のお城の痕跡が残っています。
釜山市内ホテルへ 18時30分ごろ
利用条件 |
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利用料金 車の料金は、1台の貸切料金ですので、1人でも複数人でも料金は同じです。 |
別途料金 食事代、通行料、駐車代、施設利用料、入場料はお客様のご負担となります。 |
含む料金 車両、ガソリン代、日本語観光ガイド兼ドライバー |
使用車両 ワゴン車 |
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お支払い ツアー代金は、基本的に韓国現地でのウォンになりますが、円の支払いも可能です。 |
キャンセル もし、キャンセルの場合、前日は料金の50%、 当日は料金の100%をキャンセル料としていただきます。 |
主催旅行社 釜山ナビ |