538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの64年間、百済首都だった熊津(ウンジン・現在忠清南道の公州(コンジュ)市)に造られた百済時代の王や王陵が眠る宋山里(ソンサンニ)古墳群
朝鮮三国の一カ国だった百済が475年、ソウルの漢城から熊津(ウンジン)(現在忠清南道・公州(コンジュ)市)に南下し、さらに538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの王都として知られている公州(コンジュ)には、64年間、百済首都だった熊津(ウンジン)時代に造成されたと伝わる百済王陵・宋山里(ソンサンニ)古墳群があります。
海抜130メートルの宋山(ソンサン)の緩やかな稜線のに位置している宋山里古墳群は、もともと17つの古墳がありましたが、百済の第25代の武寧王(ムリョンワン)の古墳である武寧王陵(ワンヌン)をはじめ、王や王族の7つの古墳だけが復元されています。
宋山里古墳群の模型展示館
1~5号墳は横穴式の石室墳ですが、武寧王陵と6号墳は中国の南朝の影響を受けられたトンネル型のレンガで造られた石室墓になっています。また、武寧王陵以外は、ほとんどの古墳は盗掘されて副葬品も残ってなかったのですが、1971年、6号墳の排水工事の際に偶然発見されて世間をびっくりさせた武寧王陵からは冠装飾や耳飾り、腕輪、首飾りなど、108種類の20,906点の副葬品が発掘されてそのうち12点が国宝に指定されています。
宋山里古墳模型展示館にある武寧王陵の模型と武寧王の銅像
古墳群内には、武寧王陵や5号墳、6号墳が実際の大きさで再現・復元した宋山里古墳模型館があります。6号墳、武寧王陵の模型は中に入って見学できるようになっており、古墳から発掘された燦爛たる百済文化と出会える様々な副葬品や当時に使われた枕、衣装などが展示されています。
宋山里古墳模型館の裏には、実際の武寧王陵や5号墳、6号墳があり、この百済王陵がある山の稜線を横断すると百済時代の祭儀施設として使われたという公州艇止山遺蹟があります。
公州艇止山遺蹟
基本情報 | |
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スポット名 | 宋山里古墳群(武寧王陵) 송산리고분군(무령왕릉) |
住所 | 忠清南道 公州市 錦城洞 山 5-1 충청남도 공주시 금성동 산 5-1 |
電話番号 | 041-856-0331 |
時間 | 9:00~18:00(入場は30分前まで) |
休業日 | 旧正月・秋夕(チュソク)の当日 |
入場料 | 大人1,500ウォン、学生(満13歳以上)1,000ウォン、子ども(7歳未満)700ウォン |
詳細情報 | 日本語:一部スタッフ可・日本語表示:あり(宋山里古墳群模型館内) |
交通 | 公州市外バスターミナルからタクシーで10分 |