韓国歴史旅行– 韓国遺跡地区 –
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聞慶セジェ道立公園
慶尚道とソウルを短距離で結ぶ李氏朝鮮時代の峠道に多くの観光客が訪れる こんにちは、釜山とソウルのほぼ真ん中にある聞慶セジェは、李氏朝鮮時代に嶺南地方(慶尚道)と漢陽(ソウル)を短距離で結ぶ嶺南大路の道として、重要な位置を占めていた峠です。... -
イェッキル博物館
聞慶(ムンギョン)セジェ道立公園の入口のほうにある古道(イェッキル)博物館は、朝鮮時代の歴史と文化を朝鮮八道に伝播した古道の代名詞である「聞慶セジェ」(名勝第32号)、韓国でもっとも古い(西暦156年の開拓)道である「ハヌルチェ」、古道の白眉で... -
断石山神仙寺磨崖仏像群
新羅の名将軍、金庾信が修行を行った山として知られている新羅最初の石窟形寺院! こんにちは、慶州市内から西へ位置する海抜827メートルの断石山(タンソッサン)は、高句麗と百済を滅ぼし、新羅の三国半統一に大きな貢献した新羅の名将でる金庾信(キム・ユ... -
清州古印刷博物館
世界で最も古い金属活字本で、ユネスコ世界記録遺産に登載された「白雲和尙抄錄佛祖直指心體要節]」を印刷していた高麗時代の興徳寺址の上に建立された古印刷専門博物館です。省略して呼ばれる「直指心經」または「直指」は、高麗末・1377年に仏教の最高の... -
双渓寺
お花見の名所として有名な十里桜通りの終点地にある新羅時代のお寺! 智異山の山裾に位置する双渓寺は国宝47号1点と宝物3点を有する新羅時代のお寺です。 -
海軍士官学校博物館
昌原市の鎮海に位置する海軍士官学校の海軍士官学校博物館! -
船橋荘
重要民俗資料第5号に登録されている江陵 船橋荘は、江原道で最も保存状態が良い朝鮮時代の貴族階級の生活様式がうかがうことができる大規模の両班の邸宅です。1700年代に建築された船橋荘は、江陵市の鏡浦海辺から約3.5キロほど離れており、近くの鏡浦湖... -
月精寺
江原道 平昌郡の北部にある海抜1,563メートルの五台山国立公園(オデサンクンニッコンウォン)の南東側の谷間に位置する月精寺(ウォルチョンサ)は、643年、新羅(シルラ)の善徳女王(ソンドッヨワン)時代に創建されたお寺です。一柱門(山門)から本堂... -
上院寺
上院寺の入口 江原道 平昌郡の五台山国立公園(オデサンクンニッコンウォン)に位置する月精寺(ウォルチョンサ)からさらに北の山奥へ8キロほど離れたところにある上院寺(サンウォンサ)は、724年、新羅(シルラ)の聖徳王(ソンドッワン)時代に創建さ... -
高霊池山洞古墳群
韓国最大の殉葬墓が確認された大伽耶時代の古墳群 -
興德王陵
慶州市内から北部に位置する統一新羅の第42代の興德王陵 こんにちは、新羅千年の都、慶州といえば、多くの観光客が訪れ、街の中には大きな古墳があちこちに散在していますが、慶州から車で北へ約30分ほど行ったところに李氏王朝の良洞民族村があり、民族村... -
祇林寺
慶州東海岸に位置する新羅27代の善徳女王時代に建立された韓国33観音聖地 -
山淸 內院寺
東洋仏教文化圏では最も早い時期に制作された智拳印の毘盧遮那佛を所蔵している 山淸 內院寺石造毘盧遮那佛坐像毘盧殿大雄殿と毘盧殿の間に9世紀の統一新羅時代の石塔があります。 山淸石南巖寺址 石造毘盧遮那佛坐像 国宝 第233‐1号 海抜1915メートルの... -
亀旨峰
金官伽耶の建国神話に纏わる史跡第429号の遺跡地 国立金海博物館の裏山にある亀旨峰は、金冠伽耶の始祖首露王が誕降したという伝説が伝わるところです。もともとは亀の頭に似ていて亀首峰と呼ばれていたが、首露王妃陵(史跡74)が位置する平坦な場所が亀... -
金海亀山洞白雲台古墳
金海市が一望できる丘陵に位置する6世紀後半期の古墳 金海市の東北にある盆城山と西南麓に位置する金海亀山洞白雲台古墳は、首露王妃陵から北東100m〜500m程度離れており、金海市内が一望できる場所に位置しています。現在、この古墳群は、二つの地域に分... -
南原酉谷里と斗洛里古墳群(世界遺産)
南原(ナムウォン)酉谷里(ユゴクリ)と斗洛里(ドゥラクリ)古墳群は、智異山の一筋である鳶飛山(ヨンビサン)から西に下る緩やかな丘の尾根に沿って城内村の北側に群れをなしている三国時代の古墳群である。 南原酉谷里と斗洛里古墳群(写真 南原市提供) 1989... -
昌寧博物館・昌寧校洞古墳群
非火伽耶と称する古代の伽耶文化圏の昌寧郡の博物館こんにちは、釜山の西部を流れる洛東江流域には古代日本と深い交流を行った伽耶連盟王国が6世紀まで繁盛してました。そのうち、非火伽耶とも称する伽耶勢力があった慶尙南道 昌寧郡は新羅という当時の強... -
大加耶王陵展示館
大伽耶時代の殉葬墓・池山洞古墳44号墳を再現した大加耶王陵展示館 -
永登浦倭城
永登浦倭城は、文禄の役の時に島津義弘が築城して守備したと言われており、日本軍2000人が駐留したと言われています。 巨済島北部に配置された長門浦倭城、松真浦倭城などと一緒に3つの倭城のうち最も北端に位置しており、北側には海を挟んで熊川倭城、安... -
南海船所倭城
南海船所倭城は慶尚南道 南海郡 南海邑に位置する漁村の船所村と、南海が見下ろせる輪山 天南台という小さな丘の上に築造した城郭で、脇板安治が1597年11月に築城し、対馬島主の宗義智が1,000千人余りの日本軍を駐屯させた場所です。 低い丘陵を三重に築き...